心の重い梅雨入り前の季節
町ネコのちびです。
地域ネコ••••••••では、ないんですよねぇ。
と言うことで、 少し以前に撮影したものなんですが、何やらジッと見つめていたので、気が散らないように撮ってみました。
もうすぐ仕事が任務完了なので、ちびちゃんともお別れになるのですが、撮り貯まった写真はあるので、もうしばらくはブログでお目にかけられそうです。
しかし、今年の春はずっと雨が降ったのだし、台風通過の折にもしっかり降ったのだから、もう梅雨入りまでは1滴たりとも降らなくていいんですけどね。
いろんな予定が台無しになってしまいます。
そうそう体調が芳しくないこととか、仕事が任務完了とかの話しって、日記のテーマで書いたんじゃ無かったですよね。
確か持続不能の日本その21で、近況報告がてらに記したお話しでした。
さて、その持続不能の日本その21ですが、人気記事ランキングが一時4位まで上がっていたのですけど、まぁ稀にあってもスクショしたり記事にしたりすることは、滅多にないんですが。
なぜ今回はネタにしたのかと言うと、何か遺してが1位だったことから、たまにはこういうノリもいいかな?と。
やっぱり、こういった社会派な内容の記事って、みんな好きなんですねぇ?
まぁね、だからと言って、そういうブログへ転身する積もりも無いんですけどよ。
と言うことで、今日は時の記念日です。
この記念日は比較的古い制定で、1920(大正9)年に登録されました。
日本人と言うか日本社会は時間に正確だと、諸外国からは評価されていますが、江戸時代には庶民の暮らしに時計なんて無かったので。
文明開化だと言っても明治時代までは、その習慣が抜けずになかなかルーズな国民性だっあようです。
それじゃあいかんと言うことで、西洋列強各国と信頼関係を築くためには、時間厳守な国民にならなければいけませんと、この記念日が大正時代になって制定されたと言う訳です。
で、なぜ6月10日なのかというと、国会主導なのでさすがに語呂合わせとはならず、第38代天皇の天智天皇(在位 668~671年)の故事に倣いました。
日本で初めて水流を利用した、機械じかけの時計が使われたことに由来します。
天智天皇の水時計(漏尅)が初めて稼動して時を刻んだのが、671年4月25日で、この日を現行暦(太陽暦)に直すと6月10日にあたることから、今日が毎年 時の記念日となりました。
ところで時を刻むと言えば、突然 心筋梗塞を発症してから1年が経過しました。
発作が起きたのは前日の6月5日でしたが、容態が落ち着いたので仕事を早退して、かかりつけ医へ行って。
紹介状を書くので大至急 市民病院へ行って検査をしてもらってと言われて。
その足で向かって検査をしたら、心筋梗塞を起こしていたと言うことで、緊急入院をうながされたものの、突然そんなことを言われても。
自分が1番、現実と言うかことの重大性を理解していなくて、一旦帰宅して入院の準備をして来ますと。
結局、6月6日に入院したらそのまま再検査をしてカテーテル治療室へ連れて行かれ、退院するまで救命救急センターで過ごしました。
去る6月3日は、心臓のカテーテル治療に対する1年検診だったのですが、過負荷心電図で先生が「ちょっと波形が気になる」と言われて。
今日、時間があるのなら検査を続けたいのだけれどと持ちかけられて、まぁ丸々1日休みなので、受けることにしたのですが。
血液検査で驚くべき数字が出てしまって、造影剤が使えないと言うことで、検査は中止となってしまいました。
さて、過負荷心電図とはどんな検査なのかと言うと、心臓に負担を加え、安静時の心電図ではみられない変化を見出すための検査です。
運動負荷試験には主に3タイプの方法があるようですが、私が受けたのは開始から終了まで継続して行う「単一段階負荷」のマスター2階段負荷試験。
これね、①狭心症の診断・②冠動脈疾患の重症度および予後の判定・③抗狭心症薬の効果判定・④心疾患患者の運動耐容能と重症度の評価・⑤心疾患患者のリハビリテーション・⑥不整脈の診断と評価・⑦高血圧の重症度および予後評価の試験なのよ。
だから心筋梗塞かどうかを調べる過程で、狭心症の検査として使うことはあっても、既に発症している心筋梗塞の治療前には、普通しないらしいのですが、一旦帰宅して翌日に電車で病院へ行った私は、カテーテル治療の前にやったんですよね。
安静時に心電図を記録して、異常のないことを確認してから負荷試験を行うのですが、凸型の2階段を用いて3分の過負荷を治療前にしたのですが、今回は4分30秒の過負荷でした。
運動後、直ちに仰向けに寝て心電図を測って、負荷前の状態に回復するまで記録するのですけれど。
平常時の心電図には問題は無かったようですが、過負荷後の平常時へ戻る際に波形の気になる箇所があったようでした。
で、1年前のカテーテル治療終了直後からある、痛みと言うほどまではいかないシクシク感は、今もずっと健在であること。
で、最近、チクチク感やクリクリ感が稀にではあるけれど、感じることがあるの、2つを先生へ伝えたところ、造影剤を使った検査をしてみようかと言う話しになったのですが。
クレアチニンが1.82mg/dLと言う意味不明な数字が示され、当然ながらeGFRも31ml/minと言う数字で。
この1年の間に、私の身体に何があったんだ!と言う衝撃が、精神攻撃として命中し心が粉砕。
何かお話しが続いていたみたいだけれど、あんまり聞こえてなくて、かかりつけ医の先生宛にお手紙を書いて頂きました。
で、これだけはハッとなってちゃんと会話したのですけれど、先生が言うには「じゃあ次は、心臓に異常があったら来ると言うことで」と。
これは粉砕した心を更に石臼で挽くようなことばで、受け取りようでは「もう来なくていいよ。どうせもうダメだから」に聞こえます。
循環器内科のそしてカテーテル治療の専門医なので、検査をしていないから確証は無いにしろ、数多くのデータを見て知識と経験があるはず。
なので、確定事項ではないから患者さんには言えないけれど、こういうパターンの時はもうダメなケースが多いんだよなぁ~ぐらいは、頭をよぎっているかも。
と、疑心暗鬼に陥ります。
が、基本的に医師は、ダメならダメなりに手を尽くすので、この会話のパターンからはそういうことにならないのだろうけど。
それに1年前に説明で「カテーテル治療を行うと、半年後と1年後に経過を検査して終了です」と言われたことも思い出して。
心臓としては一旦 何もすることが無くて、この続きは腎臓内科へ••••••••でもあるので、別に先生に見捨てられた訳ではないのだけれど。
でも何か心に灯火が欲しくてと伝えたら、特別に半年後の予約を入れてくださいました。
だってね、心電図の波形が気になる••••••••と言ったっきり、そこで終わりはちょっと気持ちの持って行きようがないじゃないですか。
と言うことで、年末ギリギリにもう1度、定期検診があります。
2ヶ月に1回、血液検査も実施していて、腎機能を安定化すると伝わる冬虫夏草、そしてカロリーコントロールから糖質コントロールへ変えて、塩分調整もやっていて、それが功を成して数値は安定していたんですよ。
元々、加齢による腎機能の低下はあったものの、数値的には問題無かったのですが、心筋梗塞と言う衝撃が腎臓にショックを与え、カテーテル治療での造影剤で更に追い打ちをかけて。
入院中に「少し腎機能に疲れが出ています」と言われたものの、まぁまだそのレベルだったんですよ。
それがこの数値なのはちょっと驚きなんですが、この1年間でと言うよりは、この2ヶ月間で何が?と言いたいところです。
と言うことで、客観的に考えてみて思うには、検査予約は半年後に入れましたが、それまでに心臓の調子がどう変わるか分からない。
造影剤を使った検査をしたいができないので、次に異常が出たら心臓を優先するか腎臓を優先するか、その時の判断。
そう言うことなんだと思います。
ところで腎機能の低下と言えば気になるところが人工透析ですが、クレアチニン=8.0mg/dL、eGFR=10ml/minが、個人差はありますが目安の数字だそうです。
ただねぇ、5年生存はクリアして、10年生存クリアを目指しますと言っておきながら、やっぱり10年はハードルが高いのかも知れません。
5年に比べて10年の生存率って、驚くほど低くなるじゃない。
なのでこちらも、あぁ~そーゆーコトかぁって感じの現在です。
381系 特急やくも XXX / 国鉄色やくもに想う
国鉄特急色を纏う国鉄形特急電車。
現在、民営会社であるJRにしても他の私鉄にしても、その会社で定める規則に車体カラーの規程はあります。
しかしそれらは企業内における規則であり、自主的に定められたもの••••••••なことは、世間一般の株式会社や有限会社、個人商店などと何ら変わりません。
が、日本国有鉄道と言う国の機関としての時代は、同じ組織内規則でありながら少し異なり、今の市役所関係・県庁や各省庁と言ったものに近くなります。
車両のカラーリングにしてもデザイン→提案→認可と言った流れに乗るので、比較的法律に近い感覚の規則になります。
なので、車両に使える色は指定されたものに限定され、その中で″らしさ″と″特長″をデザインしなければなりません。
国鉄特急色は昭和33年に登場したモハ20系電車→151系電車で認可された色と配色のデザインで、以降、国鉄の特急電車は全て踏破されました。
使用可能な色が限られる••••••••そんな中での組み合わせからデザインされた国鉄特急色と呼ばれる配色は、21世紀の現代で見てもその美しさに魅了されます。
美とは、多種多様な色彩によって描かれることによって生まれるものや、制約の中で知恵と工夫で生み出されるものとあり。
生まれては廃れて行く大多数の中において、優れていれば時代が過ぎても、その美しさは損なわれないものだと感じます。
公式見解が出されていないので、ちょっと一片の不安として心の片隅に落ちている影は、国鉄特急色の381系電車も行く末です。
日本最後の定期運用をこなした営業列車として、京都鉄道博物館へ収蔵されるのかどうかは、多くの人の気がかりとなっています。
現在、京都鉄博にいる国鉄形特急車両は全て普通車で、原形室内はキハ81形があり、晩年の居住性を高めた姿はクハ489形があります。
正規のグリーン車は機械遺産に認定されている0系新幹線の16形があり、2階のコーナーにグランクラスの座席やクロ151形の座席が、展示されているだけ。
381系のクロ381形はオリジナルのグリーン車ではありませんが、ボンネット車の489系と寝台電車の581系がある中で、非貫通正統のフェイスを持つ381系の収蔵は望むところです。
また、 展示方法も課題とはなりますが、室内の半分をオリジナルに、半分を晩年のグリーン車にでも良いかも知れません。
全室を普通車に戻してクハ381形として、国鉄式リクライニングシートを並べるもよしでしょうし、国鉄在来線特急のグリーン車史を見られるような室内でも良いように思えます。
京都鉄博は展示車両の稀少性のみならず、日本の近代史や工業史も学習できる施設なので、歴史好きな私としてはそういう展示方法も検討して頂きたく思います。
オリジナルの正当性も大切ですが、そこから歴史を見て学べることも重要だと感じます。
私は鉄道ファンですが歴史マニアでもあるので、京都鉄博を鉄道好きだけのテーマパークにせず、歴史好きな人間にも楽しめるエンターテイメントになってもらえると、とても嬉しいのですけれど。
なかなか難しいのかも知れません。
381系 特急やくも XXIX / ありがとう緑やくも
岡山駅へ特急やくも16号として到着し、転線して特急やくも17号となって、2番ホームで発車を待つ381系です。
ゴールデンウィーク中は、″緑やくも″に″ゆったりやくも″の増結が行われて、2・3・16・17号へ固定で運用されていました。
キハ181系時代は食堂車も連結して堂々の11両編成で営業運転を行い、電車化されて以降は最大9両編成で運転されました。
晩年そして現在は4両組成を基本とし多客期には増結編成の3両が連結され、7両編成での運転が定番化しています。
最近の動向としては、4月13日にG-01編成・J-03編成・H-02編成が先陣を切って廃車車回送されました。
続く4月24日にはF-02編成が廃車となり、ゴールデンウィークの多客期を超えて5月11日に、J-04編成が廃車となりました。
解体作業は後藤車両所と西出雲基地とで実施されるらしいですが、5月23日にはJ-01編成、そして6月3日にはF-01編成が廃車となったようです。
アルファベットのJが付くのは増結用編成を表し、稼動しているかどうかは別としてJ-02・05・06の3編成がまだ籍を残しています。
Fの符号が付く編成はパノラマグリーン車を有する編成で、スーパーやくも復刻カラーはF-02編成でしたが、既に全車廃車となっています。
Gの符号が付く編成は、検査や故障などの理由でパノラマ編成の代走用編成でしたが、多客期には単独での運転もこなした、1本のみ存在した編成でした。
Hの符号が付く編成は、編成と言うよりは動力車の予備ユニットで、H-01とH-02の2ユニットが車両故障対策で用意されていました。
ちなみにH-02ユニットは廃車となりましたが、H-01ユニットは4両編成だったE-05編成へ組み込まれて6両を組成し、現在 復刻 国鉄特急色で運用に就いています。
現役の381系電車も9編成35両のみとなってしまいましたが、1973(昭和48)年~1982(昭和57)年に川崎重工業・日立製作所・近畿車輛で277両が製造された少数形式。
定期運用から引退するまであと8日と迫った今、13%の車両が現役である数字は、ある意味脅威です。
使わざるを得なかったと言う事情もあるのですが、それだけJR西日本が大切に使ったと言う証しでもある、最後の定期運用を持っ国鉄形特急電車の誉れと言って良いかも知れません。
そしてこちらも経費の事情があるものの、国鉄特急の勲章としてヘッドマークに、エル特急の証である″L″を最後まで、掲出して走るその姿に最大の敬意を払いたく思います。
さて、 今回の写真ですが、緑やくもとゆったりやくもの連結面は、しっかり撮っておきたいところでした。
停車ホームが変更となった快速マリンライナーの、グリーン車とも合わせて撮っておきたかったのも撮れましたが、暗くてちょっとブレてしまったものの、DE10-1151号機との国鉄形車両の共演はサプライズでした。
出雲市へ向けて発車して行く後ろ姿に、アンパンマン列車の特急しおかぜの入線は、ちょうど好いタイミングでの離合となってくれました。
そうそう最後になんですが、緑やくもはE-03編成なんですよ。
381系 特急やくも XXVIII / 雨に濡れるボディ
定期運用から残すところあと9日と迫った、最後の国鉄形特急電車 381系です。
比較的 強めの雨に打たれる ゆったりやくも の写真を、今回はUPします。
しっとりと濡れて、雫を湛える381系電車も、間もなく永遠の思い出の彼方へ向かって、旅立ってしまいます。
こういう写真も、いつか懐かしく感じる日が 訪れます。
そう言えば2020(令和2)年4月29日の記事「185系 特急踊り子 2020 -⑥」で、「こんな時代もあったなぁ」と、懐かしめるような感じで撮りました••••••••と記しています。
そして「って、誰が?と質問されそうですが、もちろん私が懐かしむんですよ」と続けているのですが、伊豆急下田駅でのその写真、実はこの日も雨でした(笑)
でも、懐かしめるほど、そんなに長く生きられるのかどうかは、少し疑問が出てきました。
人生、なかなかうまくいかないものですね。
と、その話題はまた別の記事で記述するとして、今日は雨の滴る特急やくもです。
サボ受けに貼られている種別シールですが、この編成は旧来の「特急・Ltd.Express」と禁煙マーク付きの「特急・指定席」でした。
貼り替えられなかった編成もあったようですが、ひょっとしたらこの編成はこれが最後の任務だったのかも知れません。
今頃は既に、廃車置き場に留置されているのか、解体作業中なのか••••••••と、悪い想像をしてしまいます。
ただ運用的に、既に余剰車となっていることは確かなので、あながち妄想ではないところが寂しく感じるところです。
ラスト4枚は、奥4番ホームに止まるクモハ115-1600番台を犠牲にしながらの流し撮りで、 出雲市へ向けて発車して行く姿を後追いしました。
4枚中の1枚目、完全に列車のスピードとタイミングが合っていませんが、そこはまぁ動き始めた電車だし、ご愛敬と言うことで(笑)
♪動き始めたぁ汽車の窓にぃ顔を~着けたら削ぎ落とされるよねホームにいるんだから、それに運行妨害で逮捕たわ(笑)
はぁぁぁぁ~、そっかぁ、あと9日なんだぁ。
雨の厳島神社 / #雨の日にすること
#雨の日にすること。
厳島神社参拝?
あのね、もう昔から好きだったんですよ。
特に土砂降りな雨を、厳島神社の回廊から眺めるの。
いつもありがとうございます。
ホントね、話題に節操が無いと言うか統一性が無いので、記事を読み始めて何を言い出すのかみたいなブログなんですけど。
それでもたくさんの方に訪問して頂けるブログになりました。
みなさまのお住まいの地域は、今回の台風1号による大雨、その災害など被害はありませんでしたでしょうか。
以前にも1度、記事の話題にしたことがあるのですが、昔のコミックで″ポーの一族″と言う萩尾望都(はぎお もと)先生の作品かあるのですが。
ポーの一族に関しては、宝塚歌劇団のステージで知っている人もいるかも知れませんね。
岬に建つお屋敷、降り頻る雨、お屋敷の中から海を見つめるエドガー(アランだったかも?)に、アラン(エドガーだったかも?)が声をかけます。
「何を見ているの?」
「見てごらん。海に雨が降ってる景色って不思議だね」
まぁ小さいセリフの言い回しはやや違うカモ知れませんが、このシーンからの雨の降る音で波の音はかき消されて、雨の音以外何も音がしない静かな部屋••••••••が、大好きで。
特に、ポーの一族のような洋館ではなく、雨が吹き込まないバルコニーみたいな、濡れないオープンデッキから見る大雨の景色が好きになったんですけど。
これにはもう1つ同時期に体験があって、私が高校生の頃に写真スタジオの先輩が、軽バン(1BOX?)で写真を撮りに連れて行ってくれた時。
ゲリラ豪雨のような大雨になって、後ろドアを屋根代わりに開けて、ただジッと雨が降る風景を眺めていた思い出なんですけど。
この時に撮りに行ったのは山陰で、日本海を通過する日本丸だったか海王丸だったかを、望遠レンズを装着して待っていた時のできごとでした。
濡れない場所から見る海 + 大雨 + 音は、心の疲れを癒してくれるノスタルジーなのですけれど、そんなオープンデッキなんて近くに厳島神社しかないんですよね。
と言うことでの、雨の降る厳島神社です。
今から830~1200年前、平安貴族の人たちが自分の邸宅から見た、″雨の降り頻る風景″のような、そんなイメージで撮りました。
平安時代の貴族は、煩わしいけど侘しい、こんな風情の中で生きていたのでしょう。
今のような科学や工業が発達していなくて、根底から価値観が違う時代ですが、仕事のこと、人間関係のこと、恋愛のこと、家名を守ること、自己啓発や学問など勉学や趣味など、今と変わらないものも多かったと思います。
当然、 医学も発達していないので、今なら市販薬でも治癒してしまう病気で、命を落とすことも多かったと思われるので、生きていることの大切さは、現代以上に切実に感じていたのかも知れません。
降り頻る雨は、風情とばかり言っていられなくて、湿気でカビが生えると命を脅かされる時代。
だから風通しが良い建築方式で建てられている平安建築ですが、夏は風通しも良く理に適っているものの、冬は寒さが厳しい建物でもありました。
風邪やインフルエンザ、そして結核や肺炎などで命を落とす人も多かったことは、うなずくことばかりです。
平安時代、誰かが発熱を伴う病気にかかると、お坊さまがたくさん呼び集められて、篝火を焚いて、読経とお祓いが行われました。
大勢の人が出入りして孤独感を払拭し、たくさんの人が自分のために動いてくれて••••••••と言う真理効果。
そして火を焚くことによる気温そして室温の上昇が、身体を冷やさず抵抗力を高めて自然治癒効果を生みます。
病は気からと昔から言いますが、医学が未発達な時代における、最大限の治癒効果が祈祷と言う儀式だったのでしょう。
熱があって苦しいものの、そこに一筋の安心感が、病における死の淵からの生還に、大切な要因だったのかも知れません。
そして今は21世紀。
最先端医学も日進月歩で進化する現代ですが、今日は半年に1回の定期検診の日なので、広島市民病院へ朝から通院です。
とにかく体調の変化が著しくて、まるで交流電気のグラフみたいな、って分からない例えですかね?
まぁ長時間、病院に軟禁状態となるので、それなりに疲れはするのですが、いろんな方向性や現状やらが把握できるので、安心の最大要因ではあるんですけど。
毎月、近所のかかりつけ医で診療は受けているので、突然な急変みたいなことにはならないのですけど、検査の前はやはり不安はあります。
と言うことで、ラスト4枚は″男たちの大和″のロケセットなんですけど、これも私の宝物の写真なんですが、いろんな話題で使い回しができます。
戦艦大和に乗れると言うことで、何回も幾度も通った尾道日立造船だったのですが、今回は雨上がりの時の写真です。
乗艦できるまでは小雨が降っていたのですが、上がってしまって雨のオープンデッキではなくなったものの、ここも時間を忘れられる憩いの場所でした。
ただ戦艦の甲板なので、雨が降ると露天なために、完全にずぶ濡れにはなるんですけどね。
381系 特急やくも XXVII / 業界全体の追い風に
岡山駅で転線する、特急やくも16 → 17号です。
ゴールデンウィーク中は、″緑やくも″に″ゆったりやくも″の増結が行われて、2・3・16・17号へ固定で運用されていました。
さて、話題を順番にこなして行くので、少しネタに乗るには遅いタイミングとなってしまったのですけれど、私もやっぱり1度乗っておこうかと思い。
まぁ正直、乗っておこうかと言うよりは、乗っておきたいが正しいのですけれど。
世の中カスハラなる行為に遭ったり目撃されたりした人も多いでしょうが、そもそもカスハラと言うことばを知らない人も多いようです。
ハラスメントと言う価値観やことばが1番最初に日本で根付いたのは、セクシャルハラスメント = セクハラでした。
ハラスメントは加害者と被害者と第三者の価値観の相違から生まれるので、このセクハラが日本で言われ始めた当時は、どこまでが恋愛でどこからがセクハラなのか、ずいぶんと分からないままな状態が続きました。
これは″社会通念上″″客観的″に考えてと言うこととなるので、文章などによる線引きよりも感覚的な″常識″を共有するしかありません。
しかしハラスメントと言う価値観が言われ始めてもう数十年経つものの、未だにセクハラが無くなることはなく、ハラスメントの種類ばかりが増えて しまっている現状です。
不可抗力だったり偶発的なことによる″過失″であれば、もっと事件数は減るはずですが、減らないとなるとそこは、人間性や人格に欠陥がある人が多いと言わざるを得ません。
ハラスメントは所詮カスな所業なので、その総てがカスハラなのですけれど、この新しく耳に 触れることが増えたことばは、カスタマーハラスメントのこと。
カスハラ関連の記事を読むと、サービス業あるある・接客業あるあるのオンパレードで、共感して笑えるエピソードもあれば、思い出したくない記憶が溢れてくるエピソードなど、あまりにも多種多様な事案が、全て共感できます。
私も接客業を約40年携わってきたので、お客さまによる営業妨害目的の騒動や、従業員への個人攻撃など、やっと声を上げて被害を主張できる時代になったのかと、少し安堵の感があります。
そんな中でJR西日本がカスハラに対して真摯にそして毅然と対応すると発表し、サービス業・接客業の総ての業界の追い風となりました。
お客さまによる暴言・強要・恐喝紛いの言動は、加害者側の価値観に左右されず全て刑法に抵触しますが、1つ気になるところは″写真″と言われていたこと。
過去にいろいろ問題提起されているので、恐らくそれらを指すものと推測されるのですが、初期のセクハラ問題と同様に、鉄道事業者と利用客・鉄道ファンの間で、感覚的な常識の共有は急がれるのかも知れません。
過渡期には1番トラブルが発生しやすい時期であることに、変わりはありませんから。
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381系 特急やくも XXVI / 岡山駅での転線
引退迫る381系 国鉄型特急電車。
岡山駅へ到着した特急やくも18号、そして東引上4番線で転線して、特急やくも19号として2番ホームへ入線する381系です。
こういった姿も、もう見納めとなるんだと思うと、やはり寂しさが募ります。
時は5月、皐月の初夏はパワフルでエネルギッシュになる季節ですが、心の隙間にに秋風が吹き込むような、そんな一抹の哀しさを伴います。
突然ですが、平家物語と言えば京都 六波羅・宮島 厳島神社・関門海峡が特に強いイメージとして、思い起こされるのではないでしょうか。
しかし岡山県 倉敷市にも源平合戦の有名な古戦場があり、残念ながら水島臨海鉄道では訪れ辛いのですが、水島古戦場跡があります。
平家物語と言えば「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を現はす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢の如し。猛き者も遂には滅びぬ、偏ひとへに風の前の塵に同じ」。
平家物語 第1巻 初章 祇園精舎の冒頭ですが、祇園精舎の鐘の音には、この世のすべては絶えず変化していくものだという、その響きが含まれているとの語り出しです。
すなわち「時は移ろい 形あるものはすべて崩れ逝く」との自然の営みを、詩的に語り綴った文面です。
この長い文面を現す短い四文字熟語があり、それが″空即是色″なんですが、般若心経の一文にもなっているので、知っている方も多いのではないでしょうか。
さてここで平家物語を引っぱり出したのは、この形あるものは必ず失われると言う真理が、今の381系電車にピッタリとはまるなぁと。
151系 国鉄形特急電車は1958(昭和33)年11月1日デビューですが、381系 国鉄形特急電車は1973(昭和48)年7月10日デビューなので、みんな私よりも年下になります。
東海道新幹線が開業した年に生まれて、ヨンサントオダイヤ改正の時代を経て、物心ついた頃には国鉄特急全盛時代。
国鉄解体とJRグループ誕生を迎えて約35年、今、万感の想いを胸に最後の国鉄型特急電車を見送ります。
空即是色••••••••祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
まだ定期運用からの引退まで時間があった頃には「兵共が夢の跡」的な心境でしたが、こうして直前に迫ると、生きてきたことへの侘しさと重なって見えてきます。
鉄道車両は単なるマシンに過ぎないので、そこに感情や思い入れなどは勿論、持ち合わせていない無機質な存在です。
でもそれを取り巻く空間には、旅立った人、見送った人、職業とした人、泣いた人、笑った人、辛かったこと、悲しかったこと、嬉しかったこと、楽しかったこと。
人が乗るものだから、人の思いとずっと一緒に歩んできた存在です。
国鉄特急電車が誕生して約66年、これまでに携わった総ての人々の想いを乗せて、定期運用終了まで残す日々を、事故も無く災害も無くトラブルや事件も無く、どうか「ご安全に」。
「2000年の愛」と共にあらんことを。
TwilightExpress瑞風 / 倉敷駅にて
車両の定期検査のため、4月15日~9月20日まで運休中の、トワイライトエクスプレス瑞風です。
山陽上りコースの最終運行日は4月8~9日で、宮島口駅の停車最終日は8日でした。
9月21日からの営業再開日程は、8月下旬に運転日と各駅時刻を発表しますと、アナウンスが表示されています。
新停車駅と新ダイヤに変わる山陽上りコースですが、どのようになるのか気になるところです。
山陽下りコースの旅程はまだ変更予定の発表がされていないので、初日 倉敷観光は当面継続のようです。
岡山駅で14:06~14:12まで運転停車が行われた後、倉敷駅でお客さんを降ろして、トワイライトエクスプレス瑞風は一旦 中庄駅へと回送されます。
倉敷駅に停車中には、山陽本線そして伯備線の213系電車と、よく顔を合わせてくれました。
14:30~15:04の間 倉敷駅へ停車したら、夕方まで他の列車に線路を開けるため、中庄駅で疎開停車します。
近い内に中庄駅での写真も撮りに行きたいと思っていたのですが、結局、山陽下りコース運転日と仕事の都合が会わないまま、瑞風は運休に入ってしまいました。
復活してから行っても良いのですが、それだと381系がもういないので、それなら遠出してまで駅撮りしなくても••••••••な、気分にもなります。
駅撮りするなら地元の駅で、となるのですけれど、最近、宮島口駅停車が無くなることから、宮島口駅や西広島駅、その他 出先で出会ったなどで駅撮りが多いんですよね。
運休中に順次出す写真も貯まっていますし、復活後はまた、どこぞでどうにかみたいな写真を撮っていきたいです。
とは言えどこでどういう写真を撮るかは、やはり復活後の運行予定そしてダイヤを見てから、となりそうです。
検査明けの試運転に偶然出会うのも、楽しいかも知れません。
倉敷駅では岡山エリアならでわな、213系とのツーショットも、好い記念となりました。
中庄駅では撮っていませんが、折り返してやって来た倉敷駅での写真 その2へ続きます••••••••6月末にね(笑)
やめてよかったと思うことは?って、何よ、この主語の無い質問(笑)
「やめてよかったこと? そりゃ人生ですよ~ぉぉぉぉ。あっはははは~」って、半透明な人が高笑いしてたらどーするよ(爆)
と言うことで、5月31日は世界的に″禁煙デー″ですが、日本では今日から6月6日まで″禁煙週間″です。
自らの命を守ること、そして周囲の人の健康を脅かさないこと、そのためにタバコをやめるきっかけにする日が禁煙デーの趣旨です。
何か遺しておこうかな。と、思った……
ギフテッドから見た社会の諸問題。
IQが高いことは善のように語られますが、実際の社会では忌み嫌われる存在 です。
私が小学生の時代、知能が高いと言うことは、勉強がよくできると言う意味にしか捉えられていませんでした。
知能の差は認識力の差であり考察力の差であるのですが、それは人格の形成に多大な影響を及ぼすものの、性格の形成には全く関与しないものでもあります。
しかしIQが通常の人間にはそれが理解できず、話していること自体が意味を理解できないので、結局、この子どもは″性格がひねくれている″や″屁理屈を言う″と言って虐げることになります。
IQの高い人が入れるMENSAですが、この入会試験を受けることは、実は誰でも可能です。
しかし合格できるのは、おおよそスコアが130以上の人だと言われていますが、テスト内容は難しいものではありません。
高校受験や大学入試のテストの方が、よっぽど難しい設定で、受験者の能力よりは暗号解読力で篩いにかけるシステムのため、そうなるのも仕方がないところです。
裏を返せば、勉強を頑張った分だけ努力が報われると言う訳で、まさに積土成山の極みでありますが、現実社会では努力が報われるかどうかは運次第なところが大きいのも事実です。
MENSAの入会試験は受験者の純粋な能力 = 性能だけなので、反対に運で左右されることはありません。
但し同じ文章で書かれた質問がその人の知能によって、質問内容の意味が変わったり、質問されていることは分かっても何を質問されているのか理解できなかったり、質問であることそのものが認識できなかったり••••••••。
もう文字の羅列にしか見えない人は、境界知能に近い能力なので、上の説明はあくまで″通常″と括られる能力の人のものです。
で、何の話しだったかと言うと、ギフテッドの子どもは″通常″の人たちとコミュニケーションを取ることは、多大な労力を要すると言うこと。
私の場合、小4で親がついて来られなくなり、小5で教師がついて来られなくなりました。
これは学業で「ついて来られなく」なったのではなく、普段の会話••••••••雑談程度が、同級生や両親・学校の先生と成立しなくなると言う現象です。
今ほど高IQがどのようなものか日本では研究されておらず、インターネットも無かった時代なので、ギフテッドの子どもは性格が悪い役立たず・無能者として忌み嫌われた時代です。
学期末に行われる親と担任の二者面談では、教師が母に「バカにされているように感じる」と相談し、帰宅後に「先生を見下すとはどういうことだ」と、いきなり怒られ叩かれる小学校高学年時代でした。
子どもは子どもなりに、好かれていないことは肌で感じていて、いい子になろうと努力すればするほど、親と担任から嫌われると言う悪循環を生んでいました。
私のスコアは世界上位2%と言われていますが、広島市の人口は100万人以上なので、パーセントで言われると稀少性が高く感じますが、実際には2万人以上いるということになります。
ただこの数字は老若男女一括であって、男女別・年齢別に分けて人口密度を勘案すると、知人・友人として出会える確率はほぼ無いのも現実です。
ただ、もう少し裾野を広げて150や130のスコアの人を含めると約10万人となるので、稀にですが話していて楽な人として出会うことがあります。
しかしそれだけの人数が実はいると言うことは、私みたいにカミングアウトする人間は稀少で、殆どの人は辛い人生体験から触れないでいる人が多くいると言うことで。
中には心を病んでしまっている人や閉ざしてしまっている人も多く、私が小~中学生だった頃には、小学生の自殺者が急増したとのニュースで、社会が震撼した時代でもありました。
今の子どもの自殺者は隠れたイジメによるものが多数ですが、この当時はとにかく「人生に疲れた」とメンタル過労によるものが多かったのも特長でした。
IQが高いことによるイジメなど、恐らく今と当時と重複する原因も、ある一定数はあるのでしょうが、ギフテッドには味方がいない = 親と担任が敵と言うケースが多いのも問題です。
インターネットが普及し情報が溢れていても、テレビで高IQタレントがもてはやされても、今も昔もギフテッドは辛く当たられる存在なのは変わりません。
岸田総理が就任した頃、ギフテッドの命を守りたいとの発言をして、何らかの対策をしようとはしたのですが、文部科学省や教育委員会そして有識者会議に呼ばれる面々が、結局は1番何も理解できていなくて。
これまで述べた通りなのですが、理解しようにも能力が追いつかない••••••••自分たち日本のトップ頭脳を超えた天才児たちの扱いをどうするべきかなど、想像すらできないのですから、計画は空中分解してしまったことも仕方がないのでしょう。
そもそも論点がズレているのですが、これも説明しても伝わらないと思われます。
私もね、若い頃、昔は信じていたんですよ、 人間 話せば分かり合えると。
でも60年生きてきて1つ言えることは、聞く側に聞く意思があっても、聞く能力が無ければ伝わらない。
噛み砕いて丁寧に優しく説明しても、聞く人に能力が足りなければ、ますます混乱して何を言われているのか訳分からなくなる、そんなことはしばしば。
アメリカ合衆国ではギフテッドに対する様々な制度が世界最先端となっていますが、それでも救われる人はごく一部の人だけなのも現実。
日本では永久に「人権における平等」が訪れることが、無いのだろうなぁと憂うばかりなんですけど。
ことばが伝わらないなら、伝わる人にだけ私の体験を残しておこうかな?とも、最近思い始めました。
実は還暦迎えたらやりたいことと言う思いがあって、人生振り返って思い出話しをメインにしたテーマとかいいかな?と、漠然としたものだったのですが。
明確に、ビジョンと化してきたのが、未だに迫害されるギフテッドの人へ、少しでも心の救いとなればなぁとの企画です。
こうなると難しいのが、差別をする 積もりが無くても、そう捉えられ兼ねない表現もケースによっては避けられないと言うこと。
なので、ジオシティーズの日記帳システムをアメブロへ引越させたアドレスがあるので、趣味を目的とした″安芸もみじ″とは、一線を画して展開しようかな?とも考えています。
まぉ人権そして人命と言った大切なお話しでもあったので、長々と認書めてきましたが、アメブロに「#今の日本について語ろう」と「#日本を見ていて憂うこと」が、投稿ネタとしてあるのも利用してみました。
まぁまだどうなるかは分かりませんし、いつから始めるかも決めていないのですが、取り急ぎ?そういう思いがあることを表明した次第です。
今日は百人一首の日。
百人一首は小学生の頃に、学校の授業で出てきた時には、非現実的な存在だったのですけれど。
ある日、親戚の家で百人一首を発見して、1度だけ触れたことがあります。
句を覚えないといけないので、カルタみたいに遊ぶことは叶わなかったんですけどね。
私にとっての百人一首は、名探偵コナンの″から紅の恋歌″でしょうか(笑)
381系 特急やくも XXV / 緑やくもを見て巡った思い
特急やくも16号です。
ゴールデンウィーク中は、″緑やくも″に″ゆったりやくも″の増結が行われて、2・3・16・17号へ固定で運用されていました。
出雲市 11:43発 → 宍道 11:54 → 玉造温泉 12:04 → 松江 → 12:11 → 安来 12:26 → 米子 12:35 → 根雨 13:03 → 新見 13:46 → 備中高梁 14:14 → 倉敷 14:36 → 岡山 14:47着です。
全編成が新型に交代した後、最初のダイヤ改正では、少しスピードアップするのか、そこが気になるところです。
岡山から出雲市は約3時間の道のりですが、広島からだと新幹線と在来線そしてやくもの乗り換えを含めて、プラス1時間強となります。
新幹線のぞみ→特急やくもだと所要時間は4時間18分で1万2800円、高速バス みことだと所要時間は3時間22分で4200円。
ほんとねぇ、趣味的にも旅情的にも381系、 魅力的なんですけれど、現実的に実用的なのはどうしてもバスになってしまいます。
よく芸備線と木次線が陰陽連絡の代替にならないのは、その所要時間だと言われますが、仮に特急やくもに匹敵する高速列車が走っていても、選択の結果は変わりません。
では三江線が現存していて、広島駅からキハ187系がかっ飛ばして江津を結んでいたら!?
広島~三次~江津~出雲市で、広島~三次間は当然ノンストップとして、そうなると三次~江津間も自然とノンストップになるので、停車するのは江津~出雲市間の太田市のみ?
なかなかエキサイティングな特急列車ですが、所要時間的にはのぞみ + やくもと同等かプラスαなところで、料金は全区間在来線特急なのと、営業キロ的にかなりお安くなりそうです。
が、みごとの4200円には適わないところなものの、まぁ片道どっちかと言う利用方法になりそうですが、やっぱり運行時刻ですよね。
使い勝手の悪いダイヤだと、便利な存在であっても不便な乗り物になってしまいます、今の新見~備後落合~備後庄原みたいに。
お客さまをに利用させないで、鉄道の得意性が発揮されていないとか、日本一の不採算路線だとか、意味不明なことを言っているJR西日本については、また別の機会へ譲るとして。
運転手不足によって修学旅行に応じられませんと言われて、中止になっている事態もニュースで流れていますが、高速バスもいつまで運行が確保されるのか分からないご時世。
列車やバスの運転手に外国人の雇用も可能となる予定ですが、責任感が強いとか無責任だとかは、日本人の価値観から見た他国の国民性の話しです。
そこは人間性や人格そして能力の問題ではない故の懸念材料で、やはりレールの上を走りコンピュータに管理されている、鉄道路線を使った方が安全かどうかは置いといて、安心感はあります。
近い将来、1万2800円と4200円の差は、その安心感の代金に変わるのかも知れません。